プロフィール

沖縄県那覇市若狭で 女性特有のお悩み改善専門整体『らぱーちょ』の垣添陽子です。

◇垣添陽子って?

那覇市出身のアラフォー女子です。家族構成は、関西人なのにおしゃべりじゃない関西人の夫と息子2人。

南米が大好きブラジルパラグアイに住んでいたことがあります。20代前半は、ポルトガル語を使ったイベントの仕事をしていましたが、家族の看病をきっかけに職種を大変身します。

ここからが私がサロンを開くまでの長くて紆余曲折の道のりです。

 

◇らぱーちょってどんなサロン?

女性に特化した整体ですが、特にマタニティと産後の体の調整を行っています。

 〇妊娠中の腰痛や恥骨痛、お腹の張り、つわりと言ったマタニティ特有の不快感

 〇産後の肩こりや腰痛、頭痛、腱鞘炎、乳腺炎、腹直筋離開と言った産後のマイナートラブル

 〇更年期に見られる、人には言えない、理解してもらえないツラい症状

など、アラフォー世代を中心とした女性に特化した整体を行っており、整体のベースには『DRT(背骨ゆらし整体)』を取り入れております。DRTについては後ほど詳しくお伝えします。

 

◇南米好きになったきっかけ

小学生の時に『王家の紋章』という、現代と古代エジプトをワープする一人の少女の話の漫画にハマり、この漫画の影響でエジプトが大好きになりました。

ちょうどその頃、エジプトの遺跡が出てくる映画『インディージョーンズ』が公開されていて、この映画の影響で考古学者になりたいという夢を描くようになりました。

そして大学進学を悩んでいる時分に、地元沖縄で新しい大学が新設され、その大学がこれまでの大学とは違ったカリキュラムがあり、南米ペルーのマチュピチュに現地実習で行けるというものでした。これを見た瞬間、秒殺でそこの大学に進学することを決めました。

そして大学3年時にブラジル、アルゼンチン、ペルーの3カ国を訪問して、初めて訪れる南米という国の雰囲気、人の雰囲気、空気、匂い、全てが刺激的でそしてどこか懐かしい感じがし、一瞬にして南米の虜になったのです。

今思うと、私の前前前世ぐらいは南米人だったのではないかと思うぐらいです。(笑)

そして、大学を卒業してから一年半、ブラジルの大学へ留学しブラジルの歴史を勉強しました。約100年前ぐらいに沖縄の人々がブラジルに移民として行き、ブラジルの発展に寄与した歴史があります。ブラジル滞在中も多くの沖縄県系人とお会いし、教科書には載っていない本物の移民の歴史を伺うことができました。

一世の方々は、言葉が通じないところで、重労働を強いられ時には騙され、苦難の道を辿ってきたと仰っていました。この時、心の奥深くで、高齢の方々に関連した仕事に携わりたいと感じていたのかもしれません。

帰国後は、イベント関連の仕事をしていましたが、ある出来事が私の人生の大転換でした。

 

27歳の決断

24歳から26歳までイベント関連の仕事していましたが、単身赴任中の父が体調を悪くし、沖縄に一時戻ってきました。そして、検査をすると『膵臓ガン』と診断されました。これまで病気という病気は『痔』ぐらいで、笑いにしていただけにまさかの病名に家族全員、目の前が真っ暗になりました。

腫瘍が取り切れるかわからないとのことでしたが、一応手術で切除しようということになり手術を行いました。しかし、腫瘍の広がりが思いのほか大きく、腫瘍が十二指腸にまでまたがっているので、切除は無理と判断。しかしこの状態では、食べ物を消化できないため、胃と小腸を直接繋げる術式に変更し、腫瘍に対しては、手を出せない状態でした。

この時、3ヶ月と余命宣告をされました。

しかし、父は体調を取り戻し仕事にも復帰し、余命3ヶ月を乗り切り、1年半もの間、ガンと共存した生活を送っていました。このまま共存した生活を続けることを祈っていましたが、次第に体調が悪化し、3ヵ月間の入院生活を余儀なくされ、1月23日の夕方、ワン-ツ-スリーステップで、私が26歳の時に天国へと旅立ちました。

父が入院していた3ヵ月間、交代で看病をしていて、日中は主に私が見ていたので病院で働く方々と話す機会があり、そのうちに何となく身体を見る仕事に興味を持ち始め、医療系の職業を探していたところ、『理学療法士』という職種に出会いました。ちょうどその頃、沖縄県内の理学療法士の専門学校が夜間部を新設することが決まり。働きながら国家資格が取得できる!という宣伝にピーンときて、久々の受験勉強に必死でしたが、何とか合格し理学療法士の専門学校への扉を叩いたのです。27歳の決断でした。

 

◇理学療法士になるまで

理学療法士とは、ケガや骨折、脳梗塞で倒れた方々が、日常生活を送れるようにするためのリハビリを行う専門職です。手足を動かしたり、歩く練習をしたり、筋トレを指導したりと、1人1人に合ったリハビリを実施する国家資格の専門職で、勤め先は主に病院ですが、私は学生時分、老人保健施設にて高齢者のリハビリ助手の仕事をしていました。

昼間は仕事、夕方から夜までは勉強と、1日24時間のうち、約14時間は自由の利かない時間で、仕事と学校の二束のわらじ生活を4年間続けていました。この4年間の学生生活は後にも先にも私の人生の中でこんなに勉強したかと思うぐらい、相当努力した時間だったと思います。正直、とても苦しくて辞めたいと思ったことは幾度となくあったことか。でも諦めるのは簡単ですよね。続けるのが難しい。今思えば、あの時の苦しさがあったからこそ、今、色んなものにチャレンジできるのかなあぁと感じています。そして4年後に晴れて理学療法士の試験に合格し、理学療法士としてスタートしました。

4年間の人生が報われ、ようやく落ち着いて仕事ができる日々を送っていましたが、心の奥底では何か物足りなさを感じていました。どんな感情かというと、『いつか南米に行きたいな、それも理学療法士として』と思うようになり色々情報を集めていたところ、JICA日系社会青年ボランティアというものに出会います。

これは、南米の日系社会でボランティア活動をするというもので、ちょうどその時、高齢者福祉活動の募集が出ており、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの3カ国への派遣というものでした。これを見た瞬間、これこそ私が探していたものだー!と大興奮しながらすぐに申し込みをしました。職場の上司にも家族にもそして当時お付き合いしていた彼氏(現在の夫)にも内緒での申し込みでした。(汗)

一次試験は専門問題で二次試験は語学試験と面接でした。どうしてもブラジルに行きたいと強く願っていたので、受けた後は絶対に合格するという自信がありました。根拠のない自信ですね。

そして、結果通知が届き、封を開けてみるとなんとっ『合格』!やった~と喜んだのもつかぬ間、派遣先はパラグアイだったのです。3つある派遣国の中でも、正直、行きたいくない国でしたので喜びつかぬ間の出来事でした。

しかし、せっかく受かったので、ここで辞退することはいけないと思い、2年間のパラグアイでのボランティア活動をする決心をしました。

パラグアイでの活動はものすごくいい経験になり、ここで記載するには時間を要すため、一時休止とさせてくださいませ。

 

◇私自身の妊娠出産がきっかけでした

2年間のボランティア活動を終了し、パラグアイから帰国した2年後に私は1人目を妊娠しました。

私がこのサロンをオープンしようと思ったきっかけは、私自身の産前産後にかけてとてもツラい経験をしたからです。

一人目妊娠中に、これまで全く経験したことのない頭痛や恥骨痛に妊娠初期から悩まされていました。

しかし『妊娠は病気じゃないから、自分がガマンしたら大丈夫』と思い、この痛みは今だけだから何とかなると思っていました。

ただ頭痛に関しては、一日中続いていたので、妊娠中でも飲んで大丈夫と言われた軽い痛み止めの薬を飲みながら仕事をしていました。

結局この薬は、あまり効果がなく、出産までの10カ月間、ひたすらガマンしていました。 

そしてようやく出産の時を迎えましたが、今度は微弱陣痛で赤ちゃんがなかなか下りてこなく、2日間陣痛に耐えました。

最終的に母子の安全を優先するため帝王切開での出産となりました。

帝王切開は、お腹を20㎝ほど切っているので、術後1週間ぐらいは、起きる動作・くしゃみ・咳をするたびに、お腹に激痛が走ります。

こんな状態で、子育てがスタートするので正直試練でした。帝王切開後のお腹の痛みは経験した人にしかわからない痛さだと思います。陣痛と同じぐらい辛かったので…。

身体が万全ではない状態で毎日続く子育て生活。中腰姿勢での育児は、背中が痛みが走ったり、首や肩に常に重しが乗ったようなだるさ。

そして、赤ちゃんの首を安定させるために、自分の手首に負担がかかり、次第には腱鞘炎になり、さらに乳腺炎にも襲われ、

私の産前産後の生活は本当に『痛み』に悩まされる日々でした。

 

自分の身体は一体どうなっているんだ?

理学療法士という職業柄、身体の構造や動きについてはある程度知識はあったものの、妊娠から産後にかけての女性の身体については無知でした。

そのため、自分自身の中で起こっている身体の状態について知る由もなく、『自分の身体は一体どうなっているんだ?』と思うようになり、

そこから産前産後の勉強を始めました。

そして、上の子が1歳になった時に、東京で産前産後の整体スクールをされている先生の元へ、4ヵ月もの間、毎週火曜日、日帰りで東京に通い、

産前産後の整体の資格を取得しました。今思えば、毎週東京に日帰りでスクールに通う生活を4ヵ月間続けられるなんて、自分でもびっくりします。

夫と子供と夫の家族の協力のおかげです。感謝です。そして、しばらくは理学療法士として働き、二人目を出産後にサロンをオープンいたしました。

 

一人のお客様との出会いが

サロンをオープンしたての時、一人のお客様との出会いが更なる転機となりました。

50代女性で、脊柱管狭窄症と診断され、足腰の痛みとシビレで日常生活もままならない。階段の上り下りも休憩を入れないとできない、買い物に行っても足が痛くて歩けない、という方でした。手術を勧められていたそうですが、本人は拒否し手術以外の方法でどうにかならないかと暗中模索中でした。

 

その方の施術を1カ月間行いましたが、全然良くならず私自身の限界に達した時に『自然治癒力』というキーワードを目にしました。私は必至に治そうと考えていたのですが、本来、人間というのは『自然治癒力』というものを備え持っています。例えば、ケガをしてしばらくするとかさぶたができて、傷口が塞がります。これは人間それぞれの体に備わっているすばらしい治癒力が働いて機能を回復させているのです。

 

本来は自分で治す力を持っていますが、日々の生活で体に負担のかかる姿勢をとることで背骨が歪み、この力をうまく発揮できずにいます。背骨の歪みが自然治癒力の発動に大きく影響を受けています。

 

なぜなら、背骨の中は大事な神経が通っており、手足を動かしたり、内臓を動かしたり、と電気信号を送っています。背骨というのは人間にとって大事な柱で、家で言うと大黒柱となります。

 

その背骨が歪んでしまうと、神経の伝達がうまくいかず、さらに現代社会はストレス社会とも言われ、いろんな場面でストレスを受けている方がいて、痛みやシビレに悩んでいる方が本当に多いです。痛みというものは、体の中から今の状態を教えてくれる大事なサインです。決して悪いものではありません。

 

体の内なる声を聞かず、痛みをガマンした生活を送っていませんか?

薬で痛みをごまかしたりしていませんか?

 

私が妊娠中に頭痛で悩んでいた時、痛み止めを飲んで凌いでいました。結局は痛みは改善されず、出産直後まで痛みをガマンした生活を送っていました。急性的なものに対しては、薬の効果は絶大です。ですので、全部否定することは致しませんが、慢性的な痛みにこそ根本的な解決策=自然治癒力、自分で治す力が必要ではないでしょうか。

 

そこにたどり着いたときに出会ったのが、DRT(ダブルハンドリコイルテクニック)という背骨をゆらす整体です。背骨をゆらゆらと優しいタッチで揺らし、背骨の歪みを整えていきます。たった5分程度ですが、心地よい揺らぎに眠ってしまうような整体です。

DRTを受けた方全員が、「眠ってしまいました」「すごく気持ちいいですね」「体が軽くなりました」と、お喜びの声を頂いております。

 

『出会えてよかった』と思えるために、あなたのお悩みを喜びと感動に変えるサポートをしております。私自身が悩んできた分、きっとあなたのお役に立てることだと感じております。どこに相談したらいいのかわからないことなど、些細なことでも構いませんので、お気軽にご相談くださいね。

 

薬に頼らず予防できる身体、自分で治す力『自己治癒力』を高め、自分史上最高のカラダを手に入れて、これまでガマンしていた夢を叶えていきましょう。

らぱーちょ 垣添陽子